ケルンからケルンへ

ぶらぶらとほっつき歩くことが趣味です。最近カメラの楽しさを知りました。

自分のなかの①

自分ルールを手放そう。

他人の嫌いなところは、自分の嫌いなところ。

自分に甘くなる、自分を一切責めないことで、膨大なエネルギーがキープできる。

ということみたいなので、自分の中の自分ルールを見つめていこう。
私がとりわけ、イライラもするし面倒だと感じるのは、SNS上でのコミュニケーションだ。

LINEもそうだが、最近はInstagramのDMも非常にだるい。


面倒だがやらなきゃいけないと思うので、頑張って返信する→相手から返事がくるが、それが私の質問したものには応答してくれないものだった。
こういう場合、私は相手に対してイライラしてしまうのだ。

会話なんだから、私の質問に応えてくれよ・・とこう思ってしまう。
普通のおしゃべりと違うコミュニケーションツールの難しさを感じてしまう。

ここで、私が大切にしたいこと。自分ルールをみていこう。
①相手の質問に対して誠意を持って返答すること
②嘘をつかず、正直に返答すること

とても良いルールな気がするが、ここで注目したいのは、これらのルールが、私の”面倒だが、やらなきゃいけない”という気持ちに繋がっていそうだということだ。きっと、私がメッセージを送るのに、”面倒だ”という感情がなければ、こんなにも相手に対してイライラすることはないはずだからだ。

自分のこのルール、もしかして厳しすぎない?あるいは、もっと違う自分の中のものがあるのか。
様々な角度からみていきたいと思う。

まず、自分は他人に自分の姿をさらけ出すことが苦手だ。
具体例をみていこう。

この間、友人の結婚式にお呼ばれしたのだが、この時に自分は無職にも関わらず、定職に就いていると嘘をついてしまった。
みっともない自分をみて欲しくなかったからだ。

でも、でも、家族と過ごしてきて、「長い人生、一年くらい休むことも大切だ。」と親も妹も、本当に心の底から言ってくれた。
それで、少し心が軽くなったのだ。

そこで自分は無職=みっともないことではないと感じられた。本当に嬉しかった。
思えば自分は、無職になることや転職をすることがはじめてで、そんな中前職にいた人達の「休むとしても1ヶ月程度にした方が良い。」「すぐ定職に就くんでしょ?」という考えに、よく自分で考えもせず、「そういうものなのだ」で自分の中のルールに入れていたのだ。

そんなことないのに。もっと人は自由でいいのに。

もっと自由なルールを手に入れたい。海外留学に改めて行きたくなってきた🛩

これらから考えると、私は、「◯◯という状態はみっともない・人間的に自立していない」という自分ルールがあるのだ。

・・・続く